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" SPOT " [日々]

モノづくりのことがよくわからなくなるときがあって。
自分の器官のどこかが動いていないようで、ここが動かないと芯からは何もできないのといっしょだし、おもしろみがない。
手順やセオリーや約束、禁止項。それは経験上いくらか知ってる。でもぜんぶ机上のこと。
手を動かしても結局、自分の知っている「たのしさ」を追憶しているだけの作業のように思えて、ぼんやりとしていました。
そうなってしまった理由もなんとなくわかっていました。心が揺れないように、そう努めてきたからです。


NHKの「笑劇開演 小林賢太郎テレビ」という番組の放映を、分析や評価のための目ではなく、おもしろさに対しての直情的な目で観ました。
心が動いた感触が、随分久しぶりだけど確実に知っているもので、灯りが点ったような気持ちでした。
つくることの楽しさを、見せてくれた。

自分を駆りたてる鍵。
小林さんを観たとき、空が青いことなんか知っていると、家の中で眠っていたら、新しい空が墜ちて来たような心持ちだったんです。

いつか、目の前で観たいと、思っていました。



2月19日。小林賢太郎さんの公演を観に、横浜BLITZいってきました。

この公演で、ナマの小林賢太郎さんを観るのは初めてだったけど『敬愛するひとを見る』ってこんなかんじだったかも、って思いました。
ステージにあがった姿を観て胸がぎゅっとなりました。

華美ではないけど、上質で上等なからくり箱みたいでした。
この空間のなかでFIXする。ここだけの世界。
それは私がとてもすきなものでした。

最後のセリフが綺麗で、涙が出ました。
泣かせるセリフで泣くのは、自分でも合点がいくんだけど、
自分がどうして泣くのかわからない時は、その感覚を覚えておこうと思います。
作品として、お話として、映像として、計算された意匠で、震えたんだろうと思います。



つくるちからを信じる。
意匠のちからを信じる。
計算をするのも、企むのも、かたちをつくるのも、魔法をかけるのも、
根源は人間の衝動、心の色彩の豊かさだと思うんです。

自分の心が弾まなければ動かないのもよくわかる。
自分の感受性も整形できない脆いこどものままではいたくないし、ひとが云う言葉に「そんなことはわかってる」って返す大人にはなりたくない。
だけど、やわらかい状態でいたいです。

共通テーマ:日記・雑感

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